たなからたこやき

多趣味ヲタクが楽しく生きる

優等生(仮)、ヲタクになる

 どうも。

おりんです。

底辺受験生です。

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受験生?え、国立大の受験前じゃないか!そうですね、こんなところで油を売っていていいわけがありませんね。

なんでこんなことしてるんだろう、控えめに言って家の前に住むモグラになりてえ。

 

さて、自己紹介と言われて今いる沼以外について特に書くこともないです。強いて言えば座右の銘が「棚からぼたもち 果報は寝て待て 待てば海路の日和あり」であることぐらいでござい。

正真正銘のドクズですね。

このブログでは皆様にこんなヲタクにはなってはいけないということを楽しくお伝えできたらなんておもっております。

 

今日は妖怪おでん作りオヤジこと私の父が寝ろ寝ろとうるさいので、私が初めてヲタクになった経緯を語るだけにしたいと思います。

 

 

 

意識の高さがガチ恋ヲタへの第一歩だった

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皆様は新・三銃士という人形劇がN○Kで放送されていたのをご存知でしょうか。そう、「これを見てればすこやかに育つ」と名高い教育テレビで放送されていた、三谷幸喜さん脚色のアレでございます。

小学生の頃のおりんは謎に意識が高うございました。

「N○Kのアナウンサーになる」が口癖だったJSおりんは、N○Kが大好きでN○Kばかり見ていれば賢くすこやかに成長することができると信じて疑っていなかったのです。

両親も「まあクレヨ○しんちゃん見るよりは」とそれを容認していました。

 

しかし、悲劇は起きました。

そう、新・三銃士は私をすこやかな意識高い系JSから、ただのガチ恋ヲタクへと成長させたのです。

 

 はじめは軽い気持ちでした。

敬愛してやまないN○Kが割と大々的に人形劇を推している、じゃあ自分も見るまで、と。あれ、ここまで書いて気が付いたけど自分えねーちけーヲタだったのでは

しかし見進めていくうちに、気が付いたら、(あまりどうしてこうなったのかは覚えていないのですが、)とにかく三銃士が大好きになってしまったのです。

 

朝起きてご飯を食べながら三銃士のことを考え、

学校では三銃士のクリアファイルを使い、

友達に「三銃士、この間やってたの見たよ」と言われようもんならその場で三銃士のあらすじを一から十まで語り、

昼休みは学校の図書館で三銃士の原作を読み、

帰宅したら三銃士の「だるまさんがころんだ」ゲームに興じ、

習い事へ向かう電車の中で三銃士のキャラの待ち受けを眺め、

帰宅したらご飯を食べながら三銃士の録画を見直し、

寝る前は必ずアラミスとコンスタンスとダルタニアンの三角関係や心情について考えながら心を痛めました。

 

金曜日の夕方、ピアノのレッスンが終わったら飛んで家に帰って三銃士。早く家に帰りたいあまりに走っていたら車にひかれそうになったこともありました。

良い子は絶対マネしないでネ。

 

しかしこれだけではありません。私の三銃士への愛はとどまるところを知りませんでした。

 

三銃士関連書籍をとにかく買い漁って数話先のあらすじまでを読み込み、

赤レンガ倉庫で行われた人形展示会や生上映会に親に必死に頼み込んで足を運び、

小学生席という最前列中央でそれを鑑賞し、

人形を操っている人や担当声優(新・三銃士では一人の声優が何人ものキャラを担当していた)をすべて暗記し、

放送終了後もその後どうなったかを必死で脳内で考え、

またアトスとアラミス両方に言い寄られたらどうするか毎日頭を悩ませ、

ダルタニアンとアラミス両方に好意を持たれるコンスタンスが心底うらやましいと感じていました。

 

えねえちけいが賢い人間になるためのツールであると信じてやまなかった当時は「自分がヲタクになるわけがない」と考え、中学生になって二次ヲタになるまでは自分がただの三銃士が好きな小学生だとしか思っていなかった私は何の迷いもなくこんなことをしていました。

今こうして文章に起こしてみましたが、今これ読んでる人で上の当時の私の日常にちゃんと目を通した人は少数だとは思いますが皆様もうお分かりですね。

 

小学生にして私はもう立派なガチ恋ヲタクだったのです。

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しかもただのガチ恋ヲタではありません。その矛先がいくつものキャラに向いている、無節操で厄介なガチ恋です。お疲れ様でした。

 

 

しかし、さらに厄介なことに先述の通り私には自覚症状がありませんでした。

自分こそが模範的で真面目な小学生で、なんなら日本でトップレベルの秀才だと思っていました。

とんだ勘違い野郎です。クソとしか言いようがございません。

 

そんな無自覚クソ無節操勘違いガチ恋ヲタJSだった私は、地方から首都圏に転校し、その後中学受験に際して自分が馬鹿だということに気が付きます。

地方では運動以外はできる優等生ともてはやされていましたが、転校先でいじめられ、自分が陰キャだということにも気が付きます。

 

そんな馬鹿な私が第一 第二志望校にも落ち、それでも奇跡的に掴み取った第三志望校での学生生活。

大きな図書館で私を迎え入れてくれた、廃版になっていた「ダルタニャン物語」の全巻。

それに目を輝かせたのも懐かしいですね。もう六年たちました。通りでこんなババアになったわけです(体感)。

そして二次ヲタになって(これについてはまた別途記事を書きます)、私は小学生の頃からクソヲタクだったと気が付いたのでした。

 

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イイハナシダッタナー

 

 

あれれ、もう二千字を超えそうです。そして執筆時間ももうすぐ一時間。

受験生が大事な一時間をブログで費やしてしまいました。

ま、まあアレです。二次に小論文あるから、それの対策だし、、、、

 

というわけで、今日はこの辺で。

受験が終わったら三銃士のDVD見返そうと決めたおりんでしたとさ。

小学六年生の四月からでも偏差値70の中学校に合格した話

こんにちは。おりんです。

本当はヲタクな話をするブログのはずが、割とまじめな話を書きます。最初で最後だね、やったあ。

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もう中学受験のシーズンも終わり、いよいよ小学五年生は新六年生としてケツを叩かれていることと存じます。

 

さて、小六を目前に控えた当時の私(中学受験生)は何をしていたかというと、

 

受験とは程遠い地方都市で遊び呆けていました

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一応通信教育をとったり(やってない)冬期講習に通ったりはしていたものの、受験に対する知識も勉強も全く足りていなかったのに、確かに私は遊んでいたのです。

 

このブログを藁にもすがる思いで見ていらっしゃる方ももしかしたらいるかもなので、

一応何故私が合格したのかを自分なりに考えて記事にしていきます。

 

はじめに言っておきますが、これが六年も前の話であるため当時と今とでは状況が違うかもしれないこと、六年生から間に合ったのは割と運要素もあったと振り返るので(理由は後述)小六の四月からの勉強である程度の成功をした本人の私でも早くからの準備を強くおすすめすることを念頭に置いていただければと思います。

 

それではレッツゴー

 

 

①SA○IXに入れた

え?あそこの塾って入るの難しいでしょ?とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、妹が先日の入室テストを受けたところ、余裕で半分取れなくても合格していたのでそこまで高いハードルではないと思います。

とにかく市販の中学受験用の教材がある程度分かっていれば十分入室できるでしょう。

さて、何故私がこれを一番初めに出したかというと、この塾の授業形態が「短期間で何周も同じ単元を回し続ける」タイプだったからです。

普通の中学受験生は四年生、五年生から遅くとも準備を始めているため、なかなか遅れを取り戻すことが難しかったりするのですが、ここならそんな心配はあまりせず、授業にしっかりついていくだけで一年弱でもしっかり中学受験に必要な学習を進めることができたのだと思います。

ちなみにここの塾の回し者ではありません笑

少々値は張りますが行ってよかったなと思います……。お父さんお母さんごめんなさい、ありがとう。

 

 

②目標が果てしなく高かった

今ざっと私が受験した偏差値を見ているのですが、自分のかつての第一志望校は74もありました。笑ってしまいます、HAHAHAマジかよ、寝言は寝て言え、と。これ塾の先生も同じこと思ってたんだろうなあ。最後までなんやかんや見捨てないでくれてありがたい。

入試問題もかなり難しく記述問題が多くてコンパスを使った作図があったりと一筋縄ではなかなか解けないタイプでした。私の年なんか理科の問題、大問一から最後までサンゴの問題でしたからね。度肝を抜かれました。

当時の私はとにかく必死でした。その中学に受かりたい一心で勉強していました。(先週母親と当時の勉強の記録を見直してそうでもないことが発覚しましたが)

結果第一志望校には合格できませんでしたが、絶対高いところに目標を置いていなかったら今の学校に通えていなかったと強く思います。

実際今の学校に入ると、周りの子たちは私の第一志望校に落ちた子ばっかりでした。不思議なもんですね。第一志望校に合格する子ってほんの一握りなんだなあと感じました。

 

 

③最後まで諦めない

わーい。これ一番大事。

今通ってる学校、普通に自分の偏差値よりも5上でしたし、何なら一次で不合格だったんですが二次で合格でした。

つまり、1月中旬のおわりにあった試験から2月の頭までの間で成績が伸びたということです。一次で落ちた人が受験者の大半とはいえ倍率も上がってるし……。

しかも、今でも覚えているのが、その社会の試験に第一志望校の過去問にそっくりな問題が出たんです。(たぶんそこはきっちり取れました)いやあ、これは運が良かった。

あとは、割と余裕で合格勢に話を聞くと、直前期に入ると勉強のペースを落として体調面に気を使う子が多かったです。つまり直前期は私たち崖っぷち勢が余裕勢との距離を詰める一番のチャンスであるといえます。度重なる不合格に何度も心が折れそうになりましたが(滑り止め落ちた時はさすがに泣いた)、めげずに最後の猛ダッシュをがんばること、これ大事。

 

 

 

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結局第一志望校には合格できませんでしたが、ネットで調べて一番初めのページをクリックすると偏差値70と出てくる学校2つと国立の中学1つ含めて4つの合格をいただくことができました。やったね。

私以外にも何人か1年勉強せずに合格した子を知っているので、短期間の勉強である程度の成功を収める話は(少数ではありますが)何もすごく特別な話じゃないと思います。それに夏からはじめて御三家の一番強い学校に入った人がいるという風のうわさも聞いたことがあります。本当かどうかわからないけど、いや、マジか。

 

でも中学高校に入ってから怠けに怠けてこの様なので……結局いい環境に入れても本人の努力次第でどうにでもなってしまうのです。

つまり中学受験がすべてではありません。別にしてもしなくてもいいんです。するかどうか迷っている方、中学受験をする意義があるかどうか、お子様と話しあって決めることがとても大切です。小六からだと本人の意思がないときつい部分がどうしても出てくると思います……。

 

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この記事で私が言いたいのは小六からでも間に合わんことはないから最後まで頑張ってほしいということです。

もしもこの記事が、画面の前に「中学受験させたいけど今からやって間に合うのか……」と悩んでいる保護者の方の参考、そして心の支えになったらうれしいなと思います。

 

おりん